こんにちは、蒼乃神人です。
紙上セッションというカタチで、皆さんにテーマごとにお話して参ります。
一般的なお話になりますが、そこには創造の法則というものの説明も
入れてお話していきます。
どうぞ、楽しんで読まれてみてください。
人が悩むときには以下のパターンがあります
1.人間関係
2.生活環境
3.無気力
4.未来への不安
5.過去への怒り・憤り
6.喪失感・絶望感・虚無感
1.人間関係について家族、学校、組織、友人、恋人など、人は生まれ出でてから常に人との関係性の中に存在します。
見た目が様々なように、個性・気質も様々です。
そして対立・阻害・断絶・嫌悪など、人との間において好き嫌いや得手不得手があるものです。
悩むということ。どの悩みにも共通することがあります。
それは、どうしたらよいか分からない。
ということです。
人はどう対応したらよいのか分からなくなるときに、考えることが行き詰まります。また、生理的に息詰まることもあります。
人と人の係わり合いはやはり意味があって繋がりがあるものです。
かといって
必用にこだわることはありません。
人と仲良く、上手くやりたい。
もう人間関係なんて面倒だし嫌だ。
これは両方とも極端なことです。
自然でいいのです。
あなたが心得ることは、
自然になさりなさいということです。
感情として
喜怒哀楽があります。
喜んでも、怒っても、悲しんでも、楽しんでも、それでいいのです。
こういった感情を顕わにし、自分をよくもわるくもさらけ出す体験というのは
学習なのです。
出会いには・修行としての出会い
・学びあいとしての出会い
・研鑽しあう出会いがあります。
いずれも、すべて学びになりますので、出会いはすべて学びであるのですが、少し分かりやすく整理してみます。
・修行としての出会い修行ときいたら、みなさんは辛く厳しいトレーニングを浮かべるでしょう。
まさにその通りなんですね。
ですので、これはもう、「くそぉ、許せない!」と腹立たしく思ったり、
「なんで私はこんなに哀しい思いをしなくてはいけないの」とまさに悲劇のヒロインになったり、「私は世界で一番幸せ、大好き」と胸いっぱいに弾んだり、「嬉しくて嬉しくてたまらなくて、はしゃいだり」
まさに
感情をストレートに出す体験なのです。
もちろん、出したくて出しているわけでもなく、それは自然に出てくるものですよね。
そう、これは
修行としての出会いなのです。
喜びも、楽しみも、哀しみも、怒りも
実は
同じ修行なのですね。
まず、それらを
分けずに全てあるものであるということを、心においてみてください。
そして、ここに
創造の法則があります。
それを少し知ってみましょう。
この法則を、私は
『対の法則』(ついのほうそく)と名づけました。
それは
喜び
哀しみ ◇ 楽しみ
怒りこのように東西南北にそれぞれの感情を置いてみます。
喜びと怒りは、向かい合わせ
哀しみと楽しみは、向かい合わせ
ですよね。
喜怒哀楽という言葉は上手にできたもので(昔から残る言葉というのは、深い深い意味があるものです。まさに
言霊なのです)
喜怒:哀楽 であり
喜:怒 、 哀:楽 なのです。
それで上の表のような東西南北になります。
喜ぶということは、怒ることでもある。哀しむものは、楽しむものでもある。となるのです。
『人生は、喜びと楽しみで満ちていたい!』
と誰しも思いますが、そうはいかないのはこのためです。
こうして、人(生命)は
、”学び”という学校のシステムのようなレールにのるのです。これはもちろん、
成長のためのシステム(法則)としてあるものです。
では、喜び、楽しい人間関係、人生をすごすには?そう、哀しいことも、腹立たしいことも、またそのためには必要なエッセンスであるということを
「前提として」理解しておくことなのです。
哀しいことも腹立たしいことも、あるものであると。
では、人生帳尻合うようになることは分かったけども、それだけではつまらない・・・そう思いますよね。
その通りですね。
ここで、大切なのは、喜怒哀楽という
感情の四辺を受け入れることができると、次のステップがちゃんとあるのです。
それは
、「感動」です。
感動を与え合える関係。
感動を気づきと置き換えてもかまいません。
互いに持っている魅力を与え合う。
そう、ここで次の
「修行の関係性」から「学びあいの出会い」となるのです。
ただ傷つき、喜び、一喜一憂していた関係性から、互いに?な部分を認め、そこを自分の持っている+で補ってあげられる関係です。
そこにも、喜びも哀しみも怒りも楽しさもありますが、修行の頃と違い、深みが増してきます。
深みが増す関係というのは”信頼”が芽生えてきた、ということになります。
恋から愛へ
身分・立場の関係から仲間へ
友人関係から親友へ
人は一度に大勢の人とじっくり時間を持って接することもできませんから、やはり親しく日常する人というのは、家族であったり親友であったり恋人であったり仲間である同僚であったり尊敬する上司であったりするわけです。
それでよいのです。
付き合う時間が短いから分かり合えないのではありません。
人とのその
想い=密度 というのは、
時空も時間も超えます。
あなたが特に行動・言動を行わなくても、関係性を保つことはできるのです。
少し難しいお話になりましたね。
ここからは、次の「
研鑽しあう関係性」というものになっていきます。
次回は続きをお話してみますね。
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今後のブログの執筆テーマにさせていただきます。
蒼乃神人 dragonz3594@hotmail.com